太地NAVI in Jimdo

風光明媚な太地町の非公式観光情報サイトです。
古来より捕鯨で栄え、現在では捕鯨文化を受け継ぎつつ鯨と生きる町、太地町の観光を応援しています。
他にも太地町を理解するための様々な情報を掲載していく予定です。

太地町の森浦湾方面から本浦方向を望む

寺社仏閣について(森浦地区編)

ここでは、森浦地区にある神社や寺院についてまとめています。

太地町はかなり昔からある町ですから、その規模に反して神社の数が多く、また太地町の歴史や古式捕鯨を語る上で重要な寺院もありますので、それらを巡る旅というのも興味深いかもしれません。

なお、中にはわかりにくい場所もございますので、その場合は町の人に訪ねてみてください。
太地の人は皆親切ですから、丁寧に質問すれば、きっと教えてくれると思います。

蛭子神社

読みは「えびす」ではなく「ひるこ」と読む。

この神社は森浦の氏神で、従来蛭子の神を祭神にし、太地のどの神社よりも格式の高いものとされています。

昔から近郷の漁業の神として特に崇敬され参拝祈願するものも多かったそうで、この神社の社を普請すると必ず大漁があると古くからいわれています(昭和二年に鮪の大群が湾内に寄せてきたことが良い例だと町史には書かれています)。

 

この神社ができた理由や時期は全く不明ですが、町史によると、古老の話では森浦村には同社に関する古文書がたくさん保管されていたが、明治のはじめにそれらの書類を下里の宮司に保管を依頼したところ、どうも不審なところがあったらしく返還を求めたがなかなか返してもらえず物議を醸した事があった。

ようやく「綸旨」と呼ばれる書類だけが返還されたそうで、失われた書類は森浦を知るための貴重なものがあったらしいと、とても惜しまれたそうです。 


この神社には、他にも以下の2つの神社が境内に祀られている。

■若宮神社:若宮とは本宮の子を祀っている神社のことである。

■稲荷神社:元々は別のところにあったが、埋立工事の際に、蛭子神社境内に遷宮されたとされています。

地蔵禅院(延命山 地蔵院)

もともとは下和田太泰寺の末寺でしたが宝暦の頃(1750年頃)から東明寺の分院となり現在に至ります。

町史によると、今の本堂は太田の大居から移築された建物だと伝えられているそうです。

本尊の地蔵尊は、地蔵菩薩の尊称で、釈尊の依頼を受けて、釈尊が入滅後、弥勒仏の出世するまでの間、無仏の世界に住んで六道の衆生を教え導くという菩薩です。


※別項で地蔵信仰についても記載する予定です。