風光明媚な太地町の非公式観光情報サイトです。
古来より捕鯨で栄え、現在では捕鯨文化を受け継ぎつつ鯨と生きる町、太地町の観光を応援しています。
他にも太地町を理解するための様々な情報を掲載していく予定です。
ここでは、平見地区にある神社や寺院についてまとめています。
太地町はかなり昔からある町ですから、その規模に反して神社の数が多く、また太地町の歴史や古式捕鯨を語る上で重要な寺院もありますので、それらを巡る旅というのも興味深いかもしれません。
なお、中にはわかりにくい場所もございますので、その場合は町の人に訪ねてみてください。
太地の人は皆親切ですから、丁寧に質問すれば、きっと教えてくれると思います。
梶取崎に鎮座している神社で、ここに遷宮されたものです。
祭神は「建御名方命(タテミナカタノミコト)」で、元来は狩猟の神でしたが、後に武神として、また農業や漁業の神としても崇敬されています。
社の前には石灯籠一基と陰陽の石(我が国では最も古い原始宗教の形)があることからも、この神社がかなり古いものであることが伺えます。
石灯籠は明治四十年(1904年)に尾崎権次郎氏によって奉納されたものだそうです。
燈明崎の突端あたりに祀られている神社です。
祭神は「少比古名命(スクナヒコナノミコト。少彦名命とも書く)」で、大国主命(オオクニヌシノミコト)と力を合わせて国土経営に威功のあった神で、医術の法や、禁厭の術(きんえんのじゅつ。悪事や災難を防ぐ方法)を授け、また酒造の神としても祀られた神でもあります。
町史によると、現在燈明崎にある御崎神社は跡地で、実は金刀比羅神社に合祀されているとのこと。
ただ、合祀後に不漁が続いたため、現在では少比古名命の分神を祠に祀っている。
太地鮪延縄組合が建立したそうです。
また、この境内には男根神(恵比寿神社にあるものと同じかどうかは不明)も祀られており、ここにも原始信仰の気配が感じられることからも、この神社が諏訪神社同様に古くからあるものだと考えられます。
金刀比羅はもともと梵語で、天竺(インドのこと)の霊鷲山(りょうじゅせん)の鬼神で、蛇形で尾に宝玉をおさめている魚神とされています。
薬師十二神将の一としては宮比羅(くびら)大将または金毘羅童子にあたり、日本では香川県の琴平に祀られています。
海上安穏を守護し、豊漁をまねくものとして祀られていて、航海のために海に出るものや漁業従事者に尊敬される神様です。
祭神は大物主命(オオモノヌシノミコト)。
大物主尊は、大国主命(オオクニヌシノミコト)の和魂(にぎたま)で、天竺の宮毘羅大将(金毘羅童子)をあてたものだといわれています。
燈明崎の金刀比羅神社は、太地角右衛門頼徳が寛政十年(1798年)に琴平(讃岐)の金刀比羅さまを勧請(かんじょう。神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること)したものだそうです。
毎年1/10と6/10に大祭が、毎月10日に例祭があります。
熊野地方唯一の金刀比羅神社で、霊験もあらたかであったことから、昔は太地はもちろんのこと周辺への崇敬を集め、縁日もとても賑やかなものだったようです。