太地NAVI in Jimdo

風光明媚な太地町の非公式観光情報サイトです。
古来より捕鯨で栄え、現在では捕鯨文化を受け継ぎつつ鯨と生きる町、太地町の観光を応援しています。
他にも太地町を理解するための様々な情報を掲載していく予定です。

太地町の森浦湾方面から本浦方向を望む

寺社仏閣について(夏山地区編)

ここでは、太地町内のなっさ地区にある神社や寺院についてまとめています。

太地町はかなり昔からある町ですから、その規模に反して神社の数が多く、また太地町の歴史や古式捕鯨を語る上で重要な寺院もありますので、それらを巡る旅というのも興味深いかもしれません。

なお、中にはわかりにくい場所もございますので、その場合は町の人に訪ねてみてください。
太地の人は皆親切ですから、丁寧に質問すれば、きっと教えてくれると思います。

弁財天神社

夏山の南の断崖の頂上にあり、近郊はもちろんのこと、遠くは京都や大阪の商人にまで尊崇されたといわれている祠です。

縁起は定かではありませんが、口伝によると室町時代から毎月縁日があり、参道の両側に幟が立ち並び遠近の参拝客で市が出来るほどの賑わいで、さらには賭場まで開かれたとされています。

以前は石灯籠や角右衛門から納められたとされる幾多の納経があったとされていますが、それらの多くは既に紛失されたそうです。

今でも夏山地区の氏神として近隣の人たちからの信仰が篤く、豊漁を祈願しにお参りする人たちも多いそうです(未踏地)。

サゴジャの宮

サゴジャの宮は、古くからある小さな祠で、もみじやのすぐ近くにあります。

この祠に何が祀られているかは誰も知らず、由来も定かではありません。

町史や、もみじや旅館の方のお話によると、夏山の浜に流れ着いたものをそのまま祀ったものだそうです。

最初は浜辺にそのまま祀られていたようですが、その後、嵐の際に波にさらわれるおそれがあるため別の場所に移したところ、その神が枕元に立ち「わしは、今ここに祀られているが、居心地が悪いので元の場所に祀って欲しい」とのお告げがあり、現在の場所に移されたということが口伝として伝えられているそうです。

この祠の後ろの椋の木も古く、推定樹齢は500年から600年とみられ、県下でも稀有のものではないかと町史には書かれています。

上人さまの岩屋

紀伊風土記には、夏山の森浦湾に面した場所には、とても大きな岩穴があったとされているそうです。

夏山の古老の口伝によると、穴の中は八~九畳敷の広さで、石垣のような内壁があり、金(かね)の経机があり、石塔まで置かれていたそうです。

その奥にも更に岩穴があり、言い伝えでは那智山まで続いているとさえいわれていたそうです。

現在は大波によって磯岩で埋められていて、昔の面影はなくなってしまったそうです。(未踏地)

岩屋寺

岩屋寺は現在は既に消失しており、井戸だけ残っているという話やみかん畑になっているという話が町史に記載されていますが、500年以上前に夏山にあったお寺だそうです。

あったとされる場所は、弁財天神社へ登る坂の下とされています。

岩屋寺という名前から、前述の上人さまの岩屋と関連して名づけられたのではないかと、町史には記載されています(未踏地)。